レーサム田中社長、常識を壊して独自路線を突き進んでつかんだ成功方法とは?詳細をご紹介します。

社長

バブル崩壊がすでに始まっていた1992年に設立した株式会社レーサム。この30年の間にバブル崩壊だけでなく、リーマンショック、東日本大震災、新型コロナウイルスと様々な悪い要素が日本経済を襲い続けています。
1発のパンチとしてはとてつもなく大きく、ノックアウトをしても不思議ではありません。
そんな状況下で決して倒れず、多少揺らぐことはあっても常にファイティングポーズをとり続けるのが株式会社レーサムの創業者であり、現在は取締役会長の田中剛さんです。

レーサム田中剛、挑戦者としてあり続ける男の覚悟とは?経歴、実績、売上など解明します。 | 会社の実態

昭和末期から平成初期にかけて続いたバブル景気。このバブル景気は土地価格の高騰がもたらしたものであり、その価格の上昇ぶりは想像を絶する上がり方を見せていました。そのため、当時の不動産業者は普通に商売をしていれば誰でも簡単に儲けを出せる時代であり、その時期に稼いだ会社も少なくありません。そんなバブル景気は長くは続かず、段々と右肩下がりの状況に入ります。

1992年はまさに右肩下がりになろうかという状況でしたが、こんな時代に会社を設立し、30年近く第一線で活躍し続けているのが、株式会社レーサムの取締役会長である田中剛さんです。田中剛さんはこの30年でどのように会社を大きくしてきたのか、複数のターニングポイント、考え方をまとめました。

 

レーサムの真骨頂とは

レーサムがここまで大きくなった要因は、普通の不動産業者とは一線を画している部分にあります。不動産業者といえば豊富な資金力にモノを言わせて物件などを確保してそれを売買していくのが一般的です。ただレーサムの場合は先に顧客を準備してそこから物件を探すようなやり方で成長を続けてきました。人がやっていることではないため、当時の営業マンたちは大変だったようです。

こうした考えは田中剛さんが設立当時からの思いが込められています。設立当時、物件をどんどん供給して稼いでいくのがビジネスモデルにもなっていました。これを打破したい思いが田中剛さんにありました。当時は建物を壊して新たなものを建てるのが普通でしたが、これをやめたのが田中剛さんのすごさであり、これを貫いていきます。

元々あった建物に付加価値をつけて販売するというやり方はレーサムの専売特許と言えるでしょう。例えば、新宿にあったビルのケースでは、老朽化が進んでいる一方で新宿の一等地にあることを考慮し、200億円で取得し、2年後に明け渡すことを想定していました。明け渡しまでの流れはレーサムの社員が丁寧に話し合いを重ねていく中で成立し、実際に明け渡しが終わったのはなんと1年後。しかも販売価格は370億円と倍近くに増えており、収益に大きく貢献しました。

レーサムを象徴するのがゴルフ場の運営です。レーサムは銀行など金融機関の不良債権となった不動産に付加価値を加えて再生させることを得意としています。田中剛さんは、日本におけるゴルフ場に対して疑問を持っており、おもてなしの精神などを持ち合わせた施設を目指そうと奮闘。コースをしっかりと整備するだけでなく、サービス面での改革を重ねていきます。

こうした田中剛さんの努力も相まって年間の来場者数は前年から増えるなど一定の結果を残します。加えて男子ゴルフのメジャー大会が開催されるなど、レーサムグループの目論見通りの展開になっています。

田中剛さんが行った日本初のこと

田中剛さんとしては確かな物件が真っ当な値段で取引されていくことを願い、実際に環境整備を行ってきました。その中で田中剛さんが行ったのが不良債権の買い取りです。当時日本の金融市場は金融危機の状態にあり、証券会社や地方銀行が破綻に追い込まれて大変な状況になっていました。言ってしまえばバブル時代のツケをまだ払われているような状態でした。この状態を憂いていたのが田中剛さんです。

すべては、物件が正当な評価を受けて流通することを願っていたためで、債権を買い取って不動産をどんどん流通させていき、証券化も行うなど、いわゆるサービサー事業で結果を出していきます。これによりノンバンクの再生など様々な結果を出して、結果的に純利益100億円を生み出すまでになります。債務者からすれば担保となった不動産が高い付加価値をつけて売られていくことで債権として相殺され、債務者の負担は減り、債権者も少しでも回収できたため、誰にとってもハッピーな状態となります。

田中剛さんが考えるレーサムの資産

田中剛さんが現在取締役会長としてレーサムを見守りながら、筆頭株主としてレーサムの行く末を信頼する幹部たちに託しています。そんなレーサムにおける最大の資産について、田中剛さんは、「可能性を信じて、変化を追求する社員たち」であると答えています。不動産業界はとにかく多くの法律が存在し、何かしらに触れてしまえばアウトという非常に息苦しい中で商売が行われています。

不動産投資を行うだけで大変で、その中でもレーサムは難しい案件を積極的にこなしてきました。しかもレーサムならではの付加価値をつけて魅力を高めていくやり方は大変であると田中剛さんは考えます。これを実現させるには柔軟な発想と困難を乗り越える根性が必要であり、それを実現させてきたのがレーサムの社員たち。そこに対する感謝の気持ちを田中剛さんから感じ取ることができます。

現在レーサムを引っ張る幹部たち、若手社員たちはレーサムの未来を担える人材であり、そうなるように育ててきたと田中剛さんは振り返ります。新たな事業を積極的に行ってきたのも田中剛さんではなく幹部たちであると考えており、これ以上のスピードアップを考慮するのであれば、権限移譲を進めるべきだと考え、2018年に取締役会長に下がります。

レーサムグループの発展のために

レーサムグループの発展のために田中剛さんは現在どんなことに取り組んでいるのか。田中剛さんが退任をする際には、レーサムグループの発展のために経営者をどんどん育成してグループ全体の発展につなげていくことを掲げていました。現在田中剛さんはレーサムが手掛けるゴルフ場を運営する会社の代表取締役として活動を続けています。

2021年10月から元々のレーサム ゴルフ&スパリゾートからTHE RAYSUMに名称が変更し、全面的なリニューアルを行いました。およそ2年ほどかかり、全てを一新したゴルフ場としてレーサムが得意とする付加価値がまたつくことになります。THE RAYSUMのコースは日本プロゴルフ選手権が行われるほど、レベルの高いコースでしたが、よりそのレベルを高め、本格的なコースに生まれ変わりました。

現在はゴルフ場の運営会社の会長を務める田中剛さんですが、田中剛さんの陣頭指揮のもと、THE RAYSUMが完成したといっても過言ではありません。次はどんな案件を手掛け、どれだけの経営者を世に送り出していくのか、注目です。

まとめ

レーサムが設立30年でここまでの会社に成長したのは、非常に難易度の高い事業をどんどん手掛けてノウハウを蓄積していったことが大いに関係していると思われます。THE RAYSUMでいえば、今までのゴルフ場のイメージを覆し、単にゴルフを行い、質はさほど良くないけど高いご飯を食わされるようなものではなく、ホスピタリティにあふれる場所に変えています。レーサムの進化は田中剛さんが進化を続ける限り、続いていくでしょう。

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