俳優の塩谷瞬がボランティア活動を積極的に行う理由と実際に行っている活動をリサーチ!

塩谷瞬 芸能人

俳優として活動し、舞台や映画などにも精力的に出演する塩谷瞬さん。塩谷瞬さんは長年ボランティア活動を行い、東日本大震災を始め、日本で災害が発生すれば一生懸命支援活動を行うほか、世界にも足を運び、ボランティア活動に精を出します。

なぜ塩谷瞬さんは積極的にボランティア活動を行うのか。その理由や実際に行っている活動についてご紹介します。

塩谷瞬が東ティモールで見たもの

塩谷瞬

アフリカで井戸を掘るプロジェクトなど世界でもボランティア活動を行う塩谷瞬さんですが、2011年に東ティモールを訪れた際には色々な思いがあったようです。東ティモールは長年の混乱を経て2002年に独立を果たした国であり、当時はまだ独立して10年も経過していない時期でした。

塩谷瞬さんは東ティモールを訪れる際、先入観を持たないで東ティモールを理解しようと決意。最初に訪れたところは、地元のコミュニティで保健ボランティアを育てることで自分たちで乳幼児の命を守っていく活動を行っていました。人に頼らず、できる限り自分たちで守っていくという姿勢に塩谷瞬さんは感動を覚えます。

次に訪れたところでは、独立までに傷ついていた子どもたちの心を救うべく、現地の子どもたちに教育を行っていく活動を行っていました。ここで塩谷瞬さんは子どもたちと紙風船を飛ばして遊ぶなど、現地の子どもたちとのふれあいを果たします。

塩谷瞬さんは、幼い時から母親がおらず、父親も家を出ることが多く、1人っ子の塩谷瞬さんは誰の力も借りず、1人で生き抜いた経験があります。こうしたサバイバル経験がある一方で、実際は周囲の大人たちに助けてもらったという自負があるため、その恩返しをしたいという気持ちが強いのです。

つまり、塩谷瞬さんは幼い時に助けてもらった人たちに少しでも報いようとボランティアなどをライフワークにし、できることをやっていきたいという思いでいます。

その後塩谷瞬さんは東ティモールの治水や稲作なども見学し、支援ありきではなく、東ティモールの人たちが自分でできることを探し、技術の継承を行っていく様子を確認。ここでの経験が国際協力の大切さを感じ取ることにつながり、支援を行う際の方向性を模索することにつながっています。

東日本大震災で塩谷瞬が見せた行動力

塩谷瞬

2011年3月11日に発生した東日本大震災は多くの人に衝撃を与え、日本のあるべき姿、在り方を考えさせる機会を作りました。それでも年数が経過する中で東日本大震災が発生した3月11日にその当時を振り返る芸能人は段々と減ってきましたが、塩谷瞬さんは3月11日になるとブログで東日本大震災のことを振り返ります。

2022年3月11日のブログでは震災が起きた現地にボランティアとして向かった際、以前撮影で訪れた時と震災後の様子があまりにも違い過ぎたことに衝撃を受けるとともに、地球にいる以上はこうした自然災害はいつか起こりうる可能性があると考え、支え合って乗り来なければならないと考えます。

そんな塩谷瞬さんは東日本大震災が発生した当時、ちゃんこ鍋の炊き出しを行うなどボランティア活動を行っています。また支援物資をかき集めるため、自転車で都内を走り、支援物資の確保を行い、実際にそれを被災地に届けました。一方で支援物資が10円で売買される現実にも直面し、このままで本当にいいのだろうかと自問自答するようになります。

その年の1月に東ティモールを訪れ、その直後に起きた東日本大震災。東ティモールを訪れて感じたこと、実際に日本で起きた未曾有の災害で感じたこと、それぞれ共通する部分はありながら、日本でも支え合いの精神は必要なのにそれがなかなか出来ていない現実に、色々な気持ちが込み上げてきたようです。

仲間と立ち上げたボランティア団体

塩谷瞬

東日本大震災で感じたことを踏まえ、塩谷瞬さんは仲間と一緒にボランティア団体を立ち上げます。TSUNAGARIというボランティア団体は、熊本での地震やネパールでの学校再建など様々な活動を展開し、塩谷瞬さんはスペシャルサポーターとして活動を支えています。

熊本地震の際にも塩谷瞬さんは仲間たちとボランティア活動を行い、必要な物資を東京で集めて現地に届けるほか、どの場所で何が足りないのかをリサーチし、塩谷瞬さんのブログで随時紹介することで、必要なところに支援が行き届くようにしていました。東ティモールや東日本大震災で学んだことをうまく活かし、スムーズな支援につなげています。

塩谷瞬さんのボランティア活動はまだ世間には浸透していない部分もあるかもしれませんが、ここまでの実績は間違いなく本物であり、これからも塩谷瞬さんはライフワークとしてボランティア活動に取り組んでいくことでしょう。

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