自らは総理にならず、影の総理として政権維持に尽力してきた人物は数多くいます。その中で長い間、政界のドンとして君臨し続けたのが金丸信さんです。
政界のドン
金丸信さんは1914年9月17日生まれです。山梨県の造り酒屋の長男として生まれると、名家だったこともあり、使用人がいる中で育てられていきます。東京農業大学を卒業後、当時の旧制中学、現在の高校で生物の先生となったほか、柔道が好きだったこともあり柔道を教えることもありました。
一度は日本軍の隊員になるも体調を壊したことで兵役を免除され、静養ののち、造り酒屋を継ぐことになります。実業家としてのキャリアを重ねる中、政治活動も行っていき、1958年の衆議院選挙に立候補し当選します。田中角栄氏とは関係性が近く、田中角栄氏が総理の時に初入閣を果たし、建設大臣を務めました。その後、三木内閣、福田内閣と大臣を務めたほか、角栄氏と距離を置き、竹下登氏との関係性を深めていくなどします。
中曾根康弘氏に対して嫌悪感を持ち、中曾根嫌いを公言していたという金丸信さんでしたが、その中曾根内閣では総務会長、幹事長、副総理を務めており、内心嫌っているものの、自民党のためならすべてを飲み込むという献身的な姿勢が垣間見えます。
リクルート事件後の参院選で惨敗した自民党において、金丸信さんの発言力は高まり、自らの発言が政治を大きく動かすこともありました。当時海部俊樹総理の時代、金丸信さん、竹下登氏、小沢一郎氏の3人が総理よりも存在感があったとか。
そんな中、社会党を利用して自民党内の反対論を抑え込むやり方を度々取っており、2つの党を解体して政権交代可能な二大政党を夢見ることもあったと言います。しかし、1992年佐川急便から5億円の献金を受けたとして議員辞職に追い込まれました。晩年は刑事裁判の被告として闘い続けましたが、その半ばにしてこのよを去ることになります。
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