参議院で存在感を見せた男 青木幹雄

政治家

議員ではなくなっても、その存在感を存分に発揮し、政治に影響を与える人物は何人か存在します。その中の1人が青木幹雄さんです。

参院のドン

青木幹雄さんは1934年6月8日生まれで、今年で87歳です。実家は漁師で、漁協の組合長を務めていました。早稲田大学に入学後、多くの政治家を輩出した雄弁会で幹事長を務め、関係性を作っていきます。この当時、地元島根で竹下登氏の秘書になったため、早稲田大学を中退、1967年に島根県議会議員として20年ほど、竹下登氏の秘書を務めつつ県議をこなす日々を過ごしました。

こうした働きが高く評価され、1986年の参議院選挙に立候補し、当選を果たします。竹下派の中心人物として主に参議院の議員たちを束ねる存在になっていきます。のちに参院のドンと称されるようになり、郵政選挙で大量の造反組が参院から出たにもかかわらず、条件付きの処分を与えるにとどめ、造反組を自民党にとどめることに成功します。

小渕恵三氏が総理大臣になると参院幹事長に就任、改造内閣で官房長官を務めましたが、実はこの時が初入閣で、初入閣で官房長官を務めたのは史上初でした。小渕氏が脳梗塞で倒れると、すぐさま首相臨時代理に就任し、内閣総辞職を行い、後任に森喜朗氏を選ぶことにします。この選定を巡り、大きな批判を集めることになります。

参院のドンとして存在感を発揮し続けた一方、2007年の参院選で惨敗、影響力が一気に低下してしまい、竹下氏から引き継いだ島根県の竹下王国は崩壊したとまで言われました。そして2010年、脳梗塞になったことを理由に出馬を断念、長男に地盤を引き継いでもらい政界を引退します。

ただし、現在もその影響力は大きく、青木氏の言動が政界に影響を与えることもしばしばあり、今後もその動向が注目されます。

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