志半ばで病に 小渕恵三

政治家

現役の総理大臣として順調な実績を作り上げた一方、志半ばにして病に倒れた人物はこれまでに何人もいます。その中の1人が小渕恵三さんです。

ブッチホン

小渕恵三さんは1937年6月25日生まれです。父親は製糸業を営みながら衆議院議員を務めており、その家の次男と生まれます。早稲田大学第一文学部に進学した最中、父親が脳梗塞で亡くなり、政治家になるためのスキルを磨くことを決意し、早稲田で有名な雄弁会を始め、様々なサークルに参加していきます。

早稲田大学の大学院に進学すると、その間に衆議院選挙があり、大学院生でありながら当選を果たします。当時は中選挙区で、のちに総理大臣を務める福田赳夫氏、中曾根康弘氏がいるなど、激戦区の中で闘い続けることになります。保守本流を歩み続け、竹下登氏を師匠として竹下氏の側近としての地位を確立しました。

1987年師匠の竹下登氏がついに総理となると、小渕恵三さんは官房長官に就任します。この時、昭和から平成となり、平成の文字を掲げる平成おじさんとして多くの人から名前を覚えられました。ところが、平成に入ると竹下派で分裂が起こります。羽田孜氏や小沢一郎氏が出ていくことになり、これがきっかけで自民党は下野、不遇の時代を過ごしました。

1998年、小渕恵三さんは総理大臣となりますが、当時参議院は過半数割れで、なかなか思い通りの政権運営ができません。そのため、元々の中まであり政敵でもあった小沢一郎氏とタッグを組み、連立政権を発足させ、公明党とも組み、政権運営を盤石なものとします。

株価も上がり、テレビの生番組に電話をかけるパフォーマンスなどで話題を集めた中、2000年突然小渕恵三さんは病に倒れました。父親と同じ脳梗塞となり、1か月後、この世を去りました。62歳、あまりにも早すぎる死であるとともに、もし生きていれば、日本の政治の歴史はまた大きく変わっていたことでしょう。

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