スキャンダルに泣いた男 山崎拓

政治家

2000年に起きた加藤の乱で、自民党議員が42人欠席し、大騒動となりました。この時、加藤紘一氏ともう1人、自民党に反旗を翻そうとした派閥の長がいました。それが山崎拓さんです。

YKKの一員

山崎拓さんは1936年12月11日生まれで、今年で85歳です。中国で仕事をしていた父親の関係で中国で生まれると、終戦後に日本に戻り、福岡県福岡市で育ちます。早稲田大学を卒業後、ブリヂストンでサラリーマンとなり、退社後はシュウマイ販売店を経営していました。

1967年に福岡県議会議員に初当選、その際に中曾根康弘氏の目にとまり、1972年に衆議院選挙に立候補、初当選を果たします。当時世襲議員が多かった中では珍しい叩き上げの議員であり、中曾根派の一員として官房副長官になったほか、防衛庁長官、建設大臣を務めます。

自民党の政治手法に批判的だった小泉純一郎氏や加藤紘一氏と連携しYKKを結成、政調会長を務めたのち、1998年に山崎派を立ち上げます。総裁選に立候補するなど、総裁候補として名前が出た時期もありました。

しかし、2000年、加藤の乱が発生、加藤氏と一緒に倒閣運動を起こすも失敗します。加藤氏が失脚してしまう中、山崎派の結束がとても堅かったことが評価され、加藤氏とは対照的にその力を維持していました。小泉内閣発足後は幹事長となり、小泉氏からも高い評価を得ていたにもかかわらず、スキャンダルに巻き込まれてしまい、落選、総裁候補から脱落しました。

自らを蹴落とした民主党議員にもスキャンダルが発覚して辞職し、補欠選挙で復活を果たした時には小泉氏と距離を置き、安倍内閣には批判的なポジションをとります。山崎派は石原伸晃氏が率いる石原派となりましたが、現在も最高顧問としてその名が存在します。

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