あえば直道 これまでの人生の評価はいかに

政治評論家

アメリカでは草の根保守主義が浸透してきており、日本でも草の根保守主義の大切さを知る人々が草の根運動を展開している状況です。そんな中で、一般社団法人JCUの議長として日本における草の根保守主義の活動を展開し続けているのがあえば直道さんです。そのあえば直道さんは自らのホームページを立ち上げており、その中でこれまでの生い立ちをプロフィール形式で紹介しています。あえば直道さんはどのような生い立ちでここまでやってきたのか、その部分を振り返っていきます。

筋金入りの慶應ボーイだったが

あえば直道さんの生年月日などを簡単にご紹介します。1967年1月5日生まれの54歳で、神奈川県横浜市で生まれました。父親は弁護士で、あえば直道さんが生まれた時期に司法試験に合格しています。奥さんのご両親からの援助を受けており、大学院まで通い、司法試験の勉強を行っていました。結果的に弁護士になることができたあえば直道さんのお父さんはまきめきと頭角を現し、顧問弁護士として実績を重ね、裁判になっても常に勝ち続けるような立派な弁護士だったとか。

その父親に追いつこうと幼稚園の頃から英才教育を受け、1973年に慶応幼稚舎に進学します。しかし、その慶応幼稚舎においてあえば直道さんは大変な思いを強いられることになります。慶応幼稚舎には筋金入りのエリートが集まっており、あえば直道さんですら歯が立たず、太刀打ちできないような人たちばかりでした。すごい人たちの集まりになったことで、あえば直道さんは自分ではどうにもならないと徐々にやる気を失い、小学生の時期は何もかもがうまくいかなかったようです。中学になってもその傾向は続き、テストでも0点をとる有様で、いつ退学になってもおかしくないとかなりビクビクした日々を過ごしていたそうです。

転機を迎えたのは、あえば直道さんの祖父2人が相次いでこの世を去った時です。天国から祖父2人が見守ってくれているはず、なのに、これ以上醜態をさらすようなマネはしたくない、元気でやっていることを伝えるためにも、使命に燃える人間にならなければならないと奮起し、そこから部活に勉強に真剣に取り組んでいき、テストで0点をとり、「あえバカ」と屈辱的なあだ名をつけられたあえば直道さんはインターハイへの出場はもちろん、慶應義塾大学への進学に成功するなど、成果を出していきます。

その慶應義塾大学では、学生も講師も勉強に取り組む姿勢が全然ダメだったと一時期失望した時もありましたが、この大学時代に「人脈を作るサークル」を立ち上げ、責任者として活動しています。人脈を作るサークルでは、人と違うことがしたい、自分で自分の人生を決めたいなど色々な思いを抱えながら大学時代を過ごしたようです。

世界の政治を学ぶためにアメリカへ

あえば直道さんがアメリカに行くことになったのは2010年の事です。あえば直道さんは世界の政治を学びたいと考えており、何のコネも縁もない中、単身アメリカへ渡ります。渡米した時点で英語が全くできない状態だったこともあり、最初は英会話から始め、わずかな人脈を頼りに最初は共和党系の勉強会に参加するなど、関係性を築いていきました。そんな最中に発生したのが東日本大震災です。東日本大震災の様子はアメリカでも大々的に報じられており、ある日の勉強会で、あえば直道さんはスピーチを求められます。理由は日本人だからといういささか単純な理由ですが、通訳を介する形ながらも、震災復興だけでなく減税や規制緩和を通じた日米の連携を目指していこうとアピールし、称賛の声が多く聞かれたそうです。

その後、勉強会でのスピーチは好評を博し、それを見ていた共和党の関係者に招待を受け、本部に足を運びます。共和党本部で毎月のようにアジア情勢をレクチャーしていく中で共和党の人脈を築き上げていきます。2012年、あえば直道さんは1度日本に戻りますが、このタイミングで共和党のアジア担当顧問のオファーを受け、快諾し、アメリカ大統領選挙について日本のメディアからインタビューを受けるような状況となります。2012年アメリカ大統領選挙が初めて目の前で見る大統領選挙だったわけですが、結果は共和党の敗北。あまりにも悔しい結果に、何が何でも次は勝ってみせるんだという意欲につながったのかもしれません。

一般社団法人JCU

2015年2月、あえば直道さんは一般社団法人JCUを立ち上げました。JCUはアメリカの団体であるACUの日本版で、日本でも草の根保守主義が浸透するための団体として立ち上がっています。この年の夏、共和党の大会でトランプ氏の演説を見た時、あまりのムーブメント、熱気のすごさにあえば直道さんは、大統領選挙で面白い存在になるかもしれないと考えるようになり、追いかけるようになります。泡沫候補としての扱いを受けていたトランプ氏でしたが、まだ日本では有名ではなく、あえば直道さんはこの時期からトランプ氏を高く評価し、2016年には「トランプ革命」という本を出版します。

トランプ革命の出版はあえば直道さんの運命を大きく変えたといってもいいでしょう。トランプ革命を英訳したものがトランプ陣営にわたり、まだトランプ氏の状況がよくわかっていない中で面会しており、トランプ氏とあえば直道さんの関係性がスタートします。そして、2016年、トランプ氏はアメリカ大統領選挙で当選し、日本は安倍内閣だったこともあり、一般社団法人JCUの主催でJ-CPACの開催ができるはずだと持ちかけられます。毎年2月末に開催されるCPACの日本版を開催しようという声は昔からあり、様々な理由で断念をしてきたものの、今が好機とばかりに開催にこぎつけます。日本でのCPAC、J-CPACの開催が成功したことで、オーストラリアや韓国、ブラジルなど様々なエリアでご当地のCPACが開催されるようになります。

日本版CPACではスティーブ・バノン氏が来日しており、大きな注目を集めました。現在コロナ禍かそうでないかに関係なく、スティーブ・バノン氏を来日させることは非常に難しく、これが実現したタイミングはギリギリだったかもわかりません。他にもアメリカの草の根保守主義には欠かせない人物や日本の論客などが一堂に会し、日本の未来、世界の行く末を話し合いました。毎年のCPACにあえば直道さんは参加しており、2021年のコロナ禍でもあえば直道さんはアメリカに渡り、トランプ氏のスピーチなどを見ていました。そして、トランプ氏との2ショット写真など、トランプ氏とあえば直道さんの関係性の深さを感じさせます。

あえば直道さんにとって、ここまでの50数年は山あり谷ありだったかもしれませんし、相当きつい山、乗り越えるのが大変だった谷だったことでしょう。しかし、何も平坦では面白味もなんともなく、山を登り、谷から這い上がるからこそ、あえば直道さんの物語はより輝くものになったわけです。あえば直道さんはこれまでの人生をどのように考えているのか、トランプ氏やバイデン氏の話はいったん横に置いておき、あえば直道さんのプライベートな話を多くの人が聞きたがっているはずです。

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