今も闘う男 谷垣禎一

政治家

自民党総裁になりながらも総理になれず、衆議院の在任期間、野党の党首を全うした唯一の政治家がいます。それが谷垣禎一さんです。

今も闘い続ける日々

谷垣禎一さんは1945年3月7日生まれで、現在76歳です。父親も衆議院議員を務めており、東大法学部を卒業後、司法試験を受け、弁護士となります。1983年に父親が亡くなるとその地盤を引き継ぎ、初当選を果たします。自民党の有力派閥である宏池会に入り、保守本流の道を歩むことに。着実に実力をつけ、1997年に科学技術庁長官に任命されます。

谷垣禎一さんを有名にさせたのは、2000年、宏池会会長だった加藤紘一氏が当時の森喜朗総理に反旗を翻そうとするも断念、加藤氏自らは賛成票を投じようとするところを、腕をつかんで抵抗、その様子を多くのカメラが撮影しており、一躍有名になります。

2001年の小泉内閣で谷垣禎一さんは重要なポジションが与えられ、国家公安委員長や財務大臣を務め、ポスト小泉として総理候補に。2006年の総裁選に立候補するも、結果は惨敗。ただ安倍内閣が早々に瓦解してしまったため、福田内閣になった時に政調会長を務めます。

2009年、民主党に政権交代し、総裁選が行われ、谷垣禎一さんは自民党総裁に選ばれます。民主党の体たらく、内部分裂もあり、野党党首としての役割を十分に果たし、2012年9月の総裁選に再選を目指して立候補を予定したものの、当時の幹事長が立候補を表明したことで断念、安倍内閣発足後は法務大臣となりました。

自民党幹事長を務めるなど存在感を見せる一方、2016年、サイクリング中に転倒し頸髄損傷で車いす生活を余儀なくされ、政界引退に追い込まれてしまいました。その後、バリアフリー推進に向けた動きを強めるなど、ハンディを抱えながらも懸命に活動を続けている状況です。

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